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医学をクリエイティブでハックする—医師・武部貴則の挑戦

武部貴則氏(横浜市立大学准教授)
「働き方は『ひとつ』だけじゃない。」をテーマに2017年11月に行われた「TOKYO WORK DESIGN WEEK 2017」。本記事では、武部貴則氏(横浜市立大学准教授)と佐藤夏生氏(EVERY DAY IS THE DAY Creative Director / CEO)のトークセッション「医学 × クリエイティブ 〜医学の世界はクリエイティブを求めている〜」の中から、武部氏の講演の内容を再構成してお届けします。

「わかっちゃいるけど、不摂生がやめられないーー」。そんな人間の心理に対し、深く訴求することができなかったことにジレンマを感じていた武部氏。課題感から始動した「広告医学(=AD-MED)」は、広告的手法で健康行動を誘導する新しい試みとして注目を集めています。従来の理性に訴えかける健康指南から、感性に訴える「AD-MED」が医学にもたらす新しい視座とはいったいどのようなものなのでしょうか。“患者さんの診察を行わない医師”である武部氏に、医療業界に求められるクリエイティビティについて語っていただきました。

横浜市立大学とアメリカのシンシナシティ子供病院に勤めている、武部貴則と申します。医師免許は持っていますが、患者さんを診たことは一度もありません。現場医療ではなく、研究という立場で医療を支えています。

直近の目標として、2020年までに「命を助けること」のあり方を変えることを目指して研究しています。本日はこの目標を掲げた背景にある、私が研究対象としている再生医療と広告医学についてお話しさせてください。

人間の本性「わかっちゃいるけど…」に訴求できない医学のジレンマ

前田健さんのツイートを映し出し、「LIFE」のケアの必要性を語る。
多くの患者を救うには、今の医療とは別の角度からのアプローチも必要

2012年、「iPS細胞」を発表した京都大学の山中伸弥教授が、ノーベル賞を受賞されました。iPS細胞を用いた再生医療は、臓器不全の治療法として臓器移植にとって代わる可能性を秘めています。

このニュースが飛び込んできたのが、私が学部生のころ。近い将来、ヘルスケアの未来が変わるかもしれないと思い、「臓器再生医学」という領域に飛び込むことを決めました。

しかし医療現場を数年に渡って見ていくなかで、多くの方が患っている病気を治療するためには、現行の医療では不十分だと感じる機会が増えたんです。再生医療や臓器移植は、臓器不全に対して効果的な治療法ですが、違う角度からのアプローチも必要なのではないかと感じています。ここで皆さんに、タレントの前田健さんのとあるツイートを紹介させてください。

「健康は大事、とわかっていながら健康のためにしていることは何一つない。まだ不摂生を嫌いになれない。不摂生への執着を捨てきれない。そんな44歳。」

前田さんは、このツイートをした1か月後に虚血性心不全で急逝されました。私の身の回りにも、不摂生と分かっていながら怠惰な習慣をやめられず、亡くなった方が何人もいます。

今まで医学に求められていたことは、LIFE=「命」を助けることでした。しかし、前田健さんのように生活習慣が原因で亡くなる事例をいくつも見ていくなかで、これからの医学には「命」という意味だけのLIFEではなく、「生活」や「人生」といった包括的な「LIFE」のケアをすることが必要だと考えるようになったんです。

広い視野でケアをとらえたとき、医学に欠落していたのは感性や人間性に訴えるデザインやコミュニケーションの視点でした。デザインを用いて医学が日常に溶け込んでいく未来を目指し、Advertising Medicie、略して「AD-MED(=広告医学)」と名付けました。

理性ではなく、感性に刺す。図らずとも健康になる広告医学の仕組み

健康は理性に訴えると気持ちが萎えてしまうと語る武部氏
理性に訴えかけて動くのは、もともと健康意識の高い人たち

いくつか事例を紹介させてください。一つ目は、八景島シーパラダイスの階段をデザインしたトリックアートです。その階段は非常に長く、今まではほとんどの人がエスカレーターを使ってしまうような場所でした。しかし、トリックアートを用いることで、主に家族連れがトリックアート見たさに階段を利用してくれるようになったんです。

駅の構内などで階段にカロリー数が表記されてあるものを見かけますが、ああいったものは「XXカロリー使うから歩こう」と理性に訴えています。でも、それで身体が動く人はもともと健康意識の高い人。私たちはトリックアートを利用することで、誰もが思わず階段を歩きたくなる、“感性に訴える仕組み”を作りました。

もう一つの事例が、「アラートパンツ」です。アラートパンツは、太っていくにつれパンツの色が黒から黄色に変化していきます。メタボリックシンドロームは、医学界でも大きな課題の一つでした。

リサーチにあたり、メタボ該当者の方々にインタビューをしていったところ、「痩せたいという気持ちはあるが、医者や看護婦にガミガミ言われるとやる気がなくなってしまう」ことが共通点として挙げられました。理性に訴えることで、気持ちが萎えてしまうのです。

一方で、「痩せたい」という危機感はあるんです。私たちはこのインセンティブを働かせる仕掛けを、パンツの色を変化させることで表現しました。事例はほかにもありますが、紹介したような仕掛けで「広告医学」の概念化を進めています。

医療の未来を変えるのは、医療業界以外の人かもしれない

健康管理には「ナッジ(Nudge)」が必要と語る武部氏
億劫な健康管理を後押しする「ナッジ(Nudge)」が必要

従来の医療業界にも、「デザイン」を用いて健康管理を促進しようとする動きがありました。たとえば、日本高血圧学会が考えた「減塩」というキャッチコピーは多くの人に知れ渡っています。塩分の過剰摂取は血圧を高めてしまうため、このコピーがあるだけでも人々の健康意識が高まったはずです。

私が籍を置く横浜市の人口で計算すると、市民全員が豪華なお味噌汁1杯程度の減塩を行うだけで、医療費が毎年300億円浮きます。そして、毎年倒れる人が10万人弱位減るといわれており、亡くなる人は5,000人減るのです。

ただ、これを達成するにはコピーを生み出すだけでは力不足。たとえば日本高血圧学会のホームページをみると、減塩を推奨するのに15ページを割いています。相当健康意識が高くなければ、最後まで読まないですよね。

広告医学を効果的にデザインする上で、今年ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーさんの考え方「ナッジ(Nudge)」が参考になります。Nudgeは「肘で軽く押す」という意味を持ち、人びとが億劫だと思ってしまうことを軽く後押しするような施策を指す言葉です。

たとえば、男性の小便器に的や虫のシールが貼ってあることがありますが、あれは「つい狙いたくなる心理」を利用し、掃除の手間を省いています。これだけで年間の掃除コストが数千億浮く概算になるんです。

医者だけでなく、クリエイティブな人たちとのコラボレーションで医療を解決したいと語る武部氏
医者だけでなく、クリエイティブな人たちとのコラボレーションで医療を解決したい

アメリカで臓器移植が積極的に行われている背景にもNudgeが影響をもたらしています。日本では臓器提供に協力できる人が手を挙げる制度ですが、アメリカは協力できない人が手を挙げる制度です。伝え方を変えるだけで、ドナーの数が増える。

「生理学および医学の分野で最も重要な発見を行った」人物に与えられるノーベル医学生理学賞は今後、Nudgeのようにクリエイティブな視点を持つ人が受賞していくのではないかと考えています。また、クリエイターなど医学界以外の人とコラボレーションをすることで、今までにない化学反応が起こるでしょう。私自身、そうした新しい仕組みを作っていきたい。そして、日本の医療問題を医者だけでなく、一般の方たちで解決してくれるようになれば嬉しいです。

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