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「薬をもらう場所」から「生活の起点」に。薬局から医療のUXをリデザインするーカケハシ代表 中尾豊氏

AIやロボットの登場により、医師の役割も見直されるようになった。診断はAIがサポートしてくれるようになっていくだろう今後、患者とのコミュニケーションやカウンセリングでの役割が重要視されるようになってきている。人の命を預かる医療業界に、「人が介在する意味」が改めて求められている。

その中でも薬剤師に向けて、人が介在する価値を提供しているスタートアップが株式会社カケハシだ。煩雑な業務から薬剤師を解放し、薬局を「薬をもらう場所」から「生活の起点」に昇華することを目指している。

薬剤師のバリューが最大限に引き出されない既存の仕組みを変革しようと電子薬歴システム「Musubi」を開発した中尾氏は、“体験”から医療を見つめ直す。医療のUX改善を目指す、同社の取り組みを追った。
 ■目次


薬局は「薬をもらうための場所」ではない。薬局と患者のギャップをカケハシでつなぐ事業構想

ーー創業以前は大手製薬企業に勤められていたそうですが、もともと起業を考えられていたのでしょうか?

株式会社カケハシ 代表取締役CEO 中尾 豊氏
株式会社カケハシ 代表取締役CEO 中尾 豊氏

中尾 豊(以下、中尾):いえ、起業はまったく考えていませんでした。就職活動時は、コミュニケーションにはそれなりに得意な方だったので「営業マンになろう」と思っていた程度です。でも、どうせ営業するならば、形のあるもので人が喜ぶものがいいと思い、薬という人の役に立つものを売っている製薬会社に就職しました。

就職してからは、「日本一のMRになろう」と本気で思っていました。自社の薬を本当に必要としている患者さんに届けたいという想いで、必死に勉強しながらやっていたら、先生たちも共感してくださり、いい関係を築けていきました。給料も福利厚生も良かったですし、起業する気なんて1ミリもありませんでした。

ーーそんな中で、なぜカケハシ創業に至ったのでしょうか?

中尾:そんな風に頑張っていると、担当地域での自社の薬のシェアはどんどん伸びていき、営業成績は上がっていきましたが、果たしてそれで患者さんたちをどれだけ救えているのだろうかと疑問に思い始めたんです。

特にコモディティ化している製品(薬)においては、どの薬を飲んでも一定の効果があったりします。その中で自社製品のシェアを上げる自分の努力は最終的になんのためにあるのだろうと、分からなくなってしまった。

そんな時に「患者さんに対して価値のある仕事をもっとしたい」と思い、患者さんのことを観察するようになりました。そこで感じた薬剤師や薬局における課題感が起業のきっかけです。

ーーどのような課題を持たれたのでしょうか?

中尾:患者さんにとって「薬局に行くことのメリット」が、薬をもらうこと以外にほとんどないことです。多くの薬局で行われていることは、処方箋ベースのコミュニケーションだけです。つまり、薬の説明と副作用の説明をするくらいです。さらに、2回目以降はそれも省かれ、ただ薬を受け渡すための場所になります。これでは、薬局や薬剤師のバリューが限られてしまい、もったいないと思いました。

製薬会社勤務時代に感じた薬局・薬剤師に関する課題について話す中尾氏

中尾:実は親族に薬剤師がいるので分かることなのですが、薬剤師の方は知識があり、ポテンシャルの高い方ばかりです。質問すると親身になって色々教えてくれるんです。なのに薬局という場では、患者さんは「早く薬を出して」としか期待していないし、薬剤師さんたちも煩雑な業務に追われて薬を渡すだけで終わってしまう。

薬剤師の方が持つ本来のバリューを最大限発揮するための施策があれば、より良い医療を実現できると考えました。

ーー病院で医師に相談できる時間も限られていますし、薬局がそれに加えて相談できる場になれば、患者さんにとってもいいですよね。

中尾:そうなんです。薬局に行って得することは特にないけれど、それでも薬局に行かないと薬がもらえない。そんな現状の負を解決したいと思いました。

そうしてモヤモヤしている際に、2015年に厚生労働省が「患者のための薬局ビジョン」(※)を発表しました。国も動き出しているのであれば、現場も変わらざるを得ない状況になっていきます。であればそこに本気で向き合い、問題点をもっと整理していこうと思いました。そのタイミングで会社を退職し、独立しています。

※すべての薬局が「かかりつけ薬剤師・薬局」としての機能をもつことを目指すものであり、その中で薬剤師の役割が“対物業務”から“対人業務”へとシフトしていく方向性が示された。
(参考:「患者のための薬局ビジョン」~「門前」から「かかりつけ」、そして「地域」へ~ を策定しました(2015年10月 厚生労働省)

薬局を“生活の起点”に昇華する。電子薬歴システム「Musubi」が再定義する薬局

ーー電子薬歴システム「Musubi」は、中尾さんが持っていた課題感をどのように解決するのでしょうか?

電子薬歴システム「Musubi」について話す中尾氏

中尾:「Musubi」は一言でいうと電子薬歴システムですが、薬剤師さんと患者さんとのコミュニケーションを支援するためのものです。

薬剤師さんは、タブレットで「Musubi」のアプリケーションを開き、患者さんと一緒に画面を見ながら指導をします。すると「Musubi」が指導内容や生活のアドバイスを自動で提案してくれます。患者さんの年齢や性別、疾患、アレルギー、生活習慣、処方歴などの情報から、その患者さんに合ったコミュニケーションを提示してくれるのです。

さらに、その指導内容が自動で「薬歴」のベースとして記録されます。実はこの薬歴の記録というのが、薬剤師の業務負荷をかなり高めていて、患者さんとのコミュニケーションに時間を割けない原因の一つになっています。

ーー薬剤師さんたちが裏でどんな仕事をしているのか、私たち患者にはまったく見えていないですね。

中尾:薬剤師さんには、患者さんと接する以外の業務が非常に多いんです。処方薬のピッキングはもちろん、患者さんに説明したことはすべて薬歴に記録しなくてはいけないので、患者さんと話せば話すほど、後々の仕事が増えていきます。

患者さんを待たせないために、記録は後回しになりがちなのですが、一人当たりの記録に3~5分かかるとして、40人に指導したら3時間もかかります。指導内容も正確には覚えていられませんし、時間不足のあまり正しい薬歴がつけれていないことも少なくなかったんです。

ーー「Musubi」を利用すると、説明したその場で正確な内容が自動的に記録されるようになるんですね。

中尾:そうです。それによって増えた時間を、患者さんとのコミュニケーションに使っていただけるようになります。時間だけでなく話す内容についても、「Musubi」が自動提案する内容に薬剤師の知見をアドオンすることで、薬の話だけでなく生活のアドバイスもできるようになります。

たとえば、薬局に便秘気味の患者さんが薬をもらいにきたとします。その際に「フルーツは好きですか?」と訪ねて「好きです」と答えたら、「便秘には食物繊維の多いキウイフルーツがおすすめです」という提案ができる。

ーー患者さんにとって、薬局がより意味のある場所になりそうです。

中尾:そうなんです。ただ便秘薬の効能を説明してもらうよりも、ちょっと得して帰れる気がしますよね。「帰りにスーパーへ寄って、キウイを買おうかな」と思うかもしれません。付加的な気づきが与えられることで、薬局が持つ意味が大きく変わっていくのではないかと考えています。

薬局が、生活のアドバイスももらえる場所になっていくと、患者さんの「生活」へとダイレクトにつながっていくようになります。そうやって、薬局がただ薬をもらう場所から、生活の起点になっていくといいなと思っているんです。

「Musubi」が目指す薬局の在り方について話す中尾氏

ビジョンを語り、徹底的に現場を知る。「Musubi」が医療マーケットで多数のファンを獲得するまで

ーー初めに薬局を400件ほど回ったとお伺いしました。

中尾:そうですね。創業前に200件、創業後にも200件くらい回って、薬局・薬剤師さんたちの仕事を観察させてもらいました。「薬剤師さんたちがどういう働き方をしたら患者さんに対して価値を出せるのかを考えたい」というビジョンを語り、そのために薬局での仕事で何が邪魔になっているのかを勉強したいと言って、現場を見せていただいたんです。

そうすると、こういう仕事が辛いんだということを色々教えていただけるようになり、邪魔になっている問題点を整理できていきました。

ーー開発期間はどれくらいかかったのでしょうか?

中尾:開発期間としては、売り上げを上げるまでに1年数ヶ月ほどかかりました。まず9ヶ月かけてベータ版をリリースし、その上で一度試してみていただいて、もっと現場にフィットするにはどう改善していけばいいのかを半年くらい検証していました。

ーーまずは使っていただくことが大事だと考えたのですね。苦労した点などはありましたでしょうか?

「Musubi」の開発について話す中尾氏

中尾:改善点を見つける前にまず苦労したのは、本気で使ってみていただくことでした。お試しとはいえ、本気で使ってみてもらわないと問題も分からず改善できません。しかし、既存の電子薬歴システムもあるので、お試し程度の意識だとそっちが使われてしまいます。

過去には、お試し版をお渡ししても、1〜2ヶ月使っていただけていないこともありました。使ってもらえずに情報収集が遅れたのは非常にもったいなかったなと思っています。

ーーそこからどう使ってもらえるようにしたのでしょうか?

中尾:そこはもう、頼み込むしかありませんでした。満足していただけるサービスを提供するため、やりたいことを伝えて心で握り、「使いにくいかもしれないけれど使ってください!」と徹底的にお願いして使っていただきました。

そこからは、実際に使ってみていただくと、患者さんや薬剤師さんの動きに対してちょっとずつサービスがずれてるところが出てくるので、それをどんどん修正していきました。その試行錯誤のおかげで、今はかなり満足度高く使っていただけるようになっていると思います。

ーー正式にサービスインしてからの薬局の反応はどうでしたか?

中尾:薬歴のベースを自動記録するなど、業務効率化に対する評価は明確にいい反応をいただけるところですが、それよりも「Musubi」の目指す考え方に賛同してファンになってくださる方が多いです。患者さんに価値を出せる薬局の未来を一緒につくっていきましょう、というメッセージに共感していただけていると思います。

導入先については、学会に参加してブースを出した際に、先生から薬局をご紹介していただけるようになったり、導入した薬局の方々がSNSで発信してくださったりして、そこから問い合わせがくるようになりして広がっています。

ーー薬局でもAIやロボットの活用などが進んでいくかもしれませんが、薬剤師さんの中には、今後の薬剤師の在り方について課題を感じている方は多いのでしょうか?

中尾:もちろん人にもよりますが、積極的に考えている方はいます。付加価値を高めるために勉強したいという方もけっこういるのですが、薬剤師さんは7割が女性で、家庭をもっていると勉強時間が取れないという人も少なくありません。

そこで「Musubi」があると、薬歴のベースが自動で記録できることにより時間に余裕ができる。加えて、業務中に勉強できるというのも大きなメリットなんです。というのも、「Musubi」が目の前の患者さんに対して自動提案してくれる生活のアドバイスというのは、それがそのまま薬剤師さんの知識になっていきます。

カケハシが目指すのは、医療体験のリデザイン

今後の展望について語る中尾氏

ーー今後の展開は、どのようなことを考えていらっしゃいますか?

中尾:現在は薬局の中での医療体験を変えていこうと考えていますが、先々は自宅での医療体験も含めて変えていきたいと思っています。たとえば自宅で体調を崩したついた際に、「Musubi」にログを残しておくことで、次に薬局に伺った際により的確なアドバイスを受けられるなど。患者さんの負を軽減するようなモデルを、薬局に限らず確立していきたいと構想しています。

ーー大企業とパートナーシップを組んで展開されていくことは考えられていますか?

中尾:もちろん検討していますが、主たる構想ではないです。あくまでも、理念に共感できる企業とパートナーシップを結ぶことが前提です。患者さんの体験をより良くしていくという同じ方向を見ている会社であれば、企業サイズには関係なく組むことはあると思います。

日本は医療機器もレベルが高く薬も豊富で、医療自体の質は高いです。あとは長寿国である日本で患者さんが病気をもちながらもよりよく生きるために、医療体験を高めていくことが重要です。カケハシでは、医療体験の向上を追い求め、より良い医療の実現に貢献していけたらと思っています。

中尾 豊Yutaka Nakao

株式会社カケハシ 代表取締役CEO

武田薬品工業株式会社入社後、MRとして活動。提携会社との社長賞や支店の様々な賞を受賞。日本の医療の質の高さを感じると共に、患者さんへのサービスインフラの不備や医療従事者との情報格差の現状に気づく。医療業界において、サービス面で貢献することが多くの医療従事者や患者さんに貢献できる方法だと考え、独立を決意。2015年12月に同社を退職。「医療をつなぎ、医療を照らす」というビジョンで株式会社カケハシを創業。
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